studio-aulaの日記

長野県松本市、塩尻市、安曇野市などで活動する一級建築士事務所です。

モノの捉え方

ひとつの案件に関してここ一週間の間にいったい何人の人の話を聞いただろう。
それはヘニガー邸の件でなんだけど、もちろん皆とらえ方は様々で立場も様々なのでいろいろな視点から話をしている。

昨年京都の友人が話してくれて妙に納得したんだけど、ある遺跡の発掘現場に行ったときにマニアの人たちや研究者の人の目の色のスゴサを目のあたりにした時、ではいったいいつの時代を基準にして保存していくことが最前なのか?と思ったという。

それはその人の持つ価値観や時代や街の中の存在感や名前、建築的価値などで視点は数え上げたらなるほどきりがない。
ここで私がヘリガー邸のことを勝手に案じている向こうで現実の問題と向き合って苦しんでいる人もいるわけなのだ。
だからそういうことを簡単に運動にしてはならないと中劇の問題を目のあたりにしてから特に感じた。

いったい誰の視点からその建物を捉えるのが最前なのか?
どう考えても当事者に決まっているのだ。
周辺にいる私はお金を出すわけでも無いのならば結論めいたことを誘導するべきではないと最近思う。
そんな事よりも今日実家に行くとミール(アフガン犬)がぐったりとしていた。母に聞くと多分この症状はフィラリアだからもう助からないだろうとあきらめ顔だった。
そうは言っても私にとっては大切な犬。だから23キロの巨体をロジオに抱きかかえてもらって病院に連れて行った。検査の結果フィラリアではなくてすい臓が弱っているらしく点滴をして1週間ほど入院治療をすればもしかしたら回復するかもしれないというので入院させた。

大きな耳と大きな茶色の瞳が印象的でその表情はまるで人間のように豊かで怒ったり笑ったりする。今日も泣いていた。大きな涙を流していた。
横たわると存在感が有りすぎてこんな友人がいなくなってしまうと思うだけでとても辛くてたまらない。
人によってはこんな感情的になる人間など信じられないかもしれないけどそれは価値観の違いだろう。
私にはミールと過ごしてきた年月がある。
でもそれだけに全てを受け入れなければならない日が来ることも覚悟している。