studio-aulaの日記

長野県松本市、塩尻市、安曇野市などで活動する一級建築士事務所です。

最初の入院

生まれて初めて父が入院した。
去年から足に痛みを感じ、徐々に歩けなくなって原因が解らずさまざまな病院に行った。
私にしても掛かり付けである東洋医学の先生の所にも2度連れて行った。

今年になって激しい痛みに襲われてその際、15分ほど視覚が無くなってしまったのだという。この後、痛みの原因が解り手術をする事になった。

少年時代から山と共に生き、山野を駆け回り、キノコや山菜を採りまたたびなどの実をつけて酒として楽しんだ。
薪を割り炭にしてモチコメを炊くときに使っていた。
キジを捕り熊を捕り狩猟民族のような活動的だった父が歩けなくなってからというもの本当に哀れになってしまった。

もすこし元気になって秘密だった松茸の場所やおいしい山菜の食べ方や薪の作り方も教えてもらいたい。

父の年代がそうしてきたことの価値をこの年になってようやく気がつき初めている。
また時代の流れに翻弄された年代だと思う。

小学校までは鬼畜米英と教えられ、終戦で中学校に入ったら昨日までアメリカ憎しと言っていた先生がディシィイズアペンと言っていたと・・昨日のことのように何度も私に話して聞かせた。

それから世の中がなんとも信じられなくなって自分だけを信じて必死で生きてきた。その頃の哀愁や喪失感は多分今でもずっと続いていて、宗教も政治も何も信じてはいない。
それにアメリカ人の友人が遊びに来ても絶対逢おうとしなかった。

複雑な時代に翻弄され時代に背を向けるようにその足で野山を走り回っていたことも今は少しだけ理解できる。
今年から地域の山の活動に参加していこうと思っている。それは地元にずっと根づいていることで京都の大文字山で目のあたりにしたNPO活動を地でいくことだと感じたからだ。
結局ランドスケープも自分の原点から発していて小さい頃に眺めていたこの世のモノト思えないような田園風景を未だ何処かに自分は探しているだけなのかもしれない。

自然界にしか存在しない美しい稜線、そしてあぜ道、草の間を流れる自然の水の音を今でもどこかに探し続けている。