studio-aulaの日記

長野県松本市、塩尻市、安曇野市などで活動する一級建築士事務所です。

片倉

studio-aula2006-01-04

片倉の歴史は日本の蚕糸産業の歴史である。
片倉は明治23年郊外進出第1号として松本製糸所を新設。同27年川岸村に360釜の大工場を
創業。これを合わせると日本一のものであった。明治28年片倉組誕生。その基盤を更に不動のものとする。

この頃女工さんは起床5時25分〜終業21時まで14時間以上の労働を強いられていた。しかも年中無休であった。もちろん外出も禁止。ヒョエー。
この頃の労働時間詳しく見ると食事の時間がいつも20分だけ・・・
これじゃあ。かき込むだけで終わりそう。ご飯とおみそ汁がセイゼイだっただろうからゆっくり食べるものも無かったンだろうけど少しは休まないと・・・

10歳位の子供なども沢山いたらしく繭からちっとも繭先が出せないといつも怒られて泣いていたそうだ。そんな年頃じゃ充分なことは無理だろうに・・・

しかし飛騨ではカタクラの女工さんは数段待遇が良いとされ、袴に下駄履きの姿をカタクラと呼んでいたと何かの記述にあった。

片倉が時代を築こうとしていた時、その背後には江戸時代から続いた封建主義の残がいが残っていてある人は片倉は儒教とソロバンをミックスさせていたと評するらしいが片倉が実は労働者の福利厚生も考え後に病院設立したことも忘れてはならない。

近くの小さな商店街は今は寂れているけど日の出の勢いがあったそうで日の出町という名前が今もその当時の隆盛を物語っている。