studio-aulaの日記

長野県松本市、塩尻市、安曇野市などで活動する一級建築士事務所です。

ユニット

2000年に飯島洋一さんによる「ユニット派」に対する論文が話題と成ってから10年以上の年月が経過した。夫婦もひとつのユニット(言葉の意味として一単位)と捉えてもユニット派を意識している訳ではないにしても私たち二人のあり方は正にユニット派です。
*建築と破壊 飯島洋一著を読んでみた。文化論が哲学的要素で構成されていて難解だった。建築的というよりも思想的見方を書く飯島さんが阪神大震災とユニット派の出現を結びつけたことは理解できたが納得できなかった。

「緩やかな組織を構成しオブジェクトを主張しない」五十嵐太郎さんによるユニットの派生はインターネットの普及と大きな関連があるという見方が現実的に感じる。

他に建築評論家ポムさん的にふざけた見方をすればユニットには二通りあり、「ゾク」と「ペア」に分かれるそうだ。

「ゾク」は目立つことが第一優先で特にポリシーは無いので時が過ぎれば解散する。
「ペア」はお互いに弱点を補充しあって成り立つのでめったに解散することはない。ボケとつっこみのような関係でお互いピンで張るには何かが足りない。(アウラだけかも)

私で言えば金沢では現場で現場に入っただけで大工と口論になり松本に帰ってからも1人で現場を見ていた頃に手直しを要求したら次の日大工が居なくなった。
「おんな」だからと感じるやるせなさと向き合ってきたが今ではそんなストレスはない。これもユニットを組んでいる吉田のお陰でも有る。

一方の吉田はロジックが苦手、何より日記は三日坊主で小さなころから続いたことはない。
現代ではブログは立派な履歴書になりアメリカでは検索で引っかからない人物は就職も難しい現実がある。(建築は経済活動である限り建築家と呼称される者は常にサプライ側に居ることを意識しなければならない現実もある)

施主になった時もそうだ。
銀行に行っても二人で借り入れするにしても担当の人はおんな側を見ようとしない。そしてそれは小さな頃からの体験がそうさせていると自分で納得しながら変な気持ちを味わっていた。

私たちはどちらが親分とか決めていないが、メーカー側の多くの場合、吉田を先生と呼び私をお手伝いさん的に扱ってくださる。そうした見方はどこから来ているのかは察しがつく。でも「ゆるやかな組織」の存在もそろそろ認識した方が仕事のためにはいいだろうと思う。

おとことおんな。
結果的に見えない世界を共有しユニットの中でも長く続く組み合わせ。
経験できないおとこの世界を体験し相手もおんなの世界を共有する。それ以上の楽しさはないとわかっている。だから毎日が快適です。

そんな時代の過渡期に出てきたユニット派。今の若い建築家はトラウマ的経験が少なく実にしっかりとした女性が多いので心配はないですけどね。