ヒヤシンスハウス
中村好文さんの著書「普段着の住宅術」の中に立原道造のヒヤシンスハウスについて書かれていた。
立原道造は建築家としてよりも詩人として有名でわずか24歳でこの世を去ったけれど彼の作った詩は甘くせつなく言葉が煌めき、青い時代の私をウキウキさせたのだ。
風詩 立原 道造
丘の南のちひさい家で
私は生きてゐた!
花のやうに 星のやうに 光のなかで
歌のやうに
彼はこの小住宅を考えていたときにちょうど結婚しようとした人が居てここが新居となる可能性もあった。
中村さんの本を読むと男女の発想の違いが浮き彫りにされているので面白い。大雑把な書き方をすれば男は小屋から発想し女は家を求めるものというところ。わずか4.4坪のこの一部屋の小屋の中に彼は様々なアイディアを思いめぐらしパースも6枚も書いて相当な思い入れをしていたのだがこの計画案を彼女に見せたときの反応は・・・・・・「一部屋では困るときがなくって?」
・・・・・・・道造の落胆ぶりが目に浮かぶようだ。
そういう事じゃなくて・・ね。確かにそうだけどこの最小限の空間にありとあらゆるものを集約させ切り捨てて小屋に戻る人間の営巣本能が鮮やかに見てとれるだけに心をくすぐられることを女は理解しなければならないのだ。
わたしはというとこれだけ切りつめられた空間に思いを込めた道造の気持ちが良くわかりつつも欲しいのは小屋ではなくてやはり家なんだよなぁと自分を振り返った。私とロジオさんの考えるプランは微妙なところで違うのでやはり男女の違いってこういうものなのか・・となかなか面白かった。
とは言っても私はやはり営巣本能に理解を示しながら住んでいるつもりですけどね。それもなかなか悪くは無いです。でそれとこれと折り合いをつけるのも又面白く、で営巣本能から出た発想を壊してしまわないようにしなければとこれを読みながら考えつつ、フムフムと新しい発想が出来そうな気がします。