studio-aulaの日記

長野県松本市、塩尻市、安曇野市などで活動する一級建築士事務所です。

不変性と普遍性について

studio-aula2006-12-07

 *[ランドスケープ]不変性と普遍性について

昨日最後のレポートを書き終えてほっとしている。京都庭園学のなかの樹木管理についてだ。
京都でランドスケープを学ぶことが出来て良かったと改めて思った。
テーマは庭園の中の「不変性と普遍性について」だ。

一般的には普遍性とはすべてのものに通じる性質のことで不変性とは空間を超越し変わることのないことを言う。この言葉は深く、庭園管理のありようを言い当てているように思う。

 いろいろと調べながら考えていくと庭園における樹木の管理には庭園の作庭者の意図を読みとっていくのはもちろん、時代を読みとっているか、スケール感や美意識が高尚なものかという問題を根底に全てを読みとりながらそれを裏付ける技術とまたまたそれに寄り添うセンスが大切なのだと理解できるようになった。

 日本庭園にあるのは、人間の手が介在し継続されていく不変性なのである。今まで表面的なことでしか見ていなかった庭の職人の偉大さが少しだけわかった。何故、人は日本庭園に惹かれるのかということも含めて奥の深いところの一端が垣間みられた気がした。

樹木の変化で庭園のあり方が一変してしまうことがある。空間を見極めるセンスと寛容さを持つ技術者に管理されていく庭園は普遍性と不変性の両方を備えていく。
 それは、創造する上では全ての人間の目指す到達点である。そしてこれからの人生の中でも常に持ち続けていきたい視点である。庭園における樹木の管理を通して日本庭園の美意識や思想そして最終的には全てに通じる創造性や思いやりが大切なのだということを知った。

 また、人の心を揺さぶるものは万人に通じるものでありその場所に対する愛情なのだとも思った。ルイス・カーンの言葉に再び戻るとき、私たちはあまり変化に対して恐れる必要は無いのだと解る。そしてそれは日本庭園の持つ寛容さにも読みとれる。 
私は万物は移り変わるものだが、その中にも変わらないものも存在していくのだということを忘れないように生きていきたいと庭の樹木を通じて解った。