studio-aulaの日記

長野県松本市、塩尻市、安曇野市などで活動する一級建築士事務所です。

ネット社会におけるデザイン文化と環境デザインの接点

 私は数年前からテレビは見ないようになった。それはテレビのスイッチを入れていると好むと好まざるとに関わらず、情報が湯水の様にあふれ出てくるからだ。しかも、こちらに見ているとか聞いているといった自発的な意志が介在しなくても潜在的に[もの]や[こと]の善し悪しがその情報によって判断することになるような気がしたからだった。それからもう一つ、テレビを見ていると取り止めがない。次から次へと嗜好を変え飽きさせないように番組が構成されていてスイッチをオフにするタイミングを逃している内に気が付くと夜中になっていたという事態に危機感を持ったからだった。
 それから、6年の月日が経ちその頃テレビに抱いた同じような恐れを今インターネットの中で感じている。実は私は2ちゃんねらーである。かもしれない。もしかしたら違うのかもしれない…。実のところ自分にもよく分からないのだ。
実際には2チャンネラーという団体は存在しない。覗きに行った人、書き込みをした人達のどこまでが2チャンネラーで又そうでないかなどはきわめて曖昧な世界である。そしてこの曖昧さの中で動いているのがインターネット上の巨大掲示板でもある。そして最近ここを背景としたエイベックスVS2チャンネルという構図を世間に知らしめた題は私がネット社会に対して嫌悪感を持つ機会になった。
   アスキーアート巨大掲示板
 2チャンネルにはわたしもここ3年ほどロム専といわれる肩書きで覗きにいき、書き込みを見ることを日課にしていた。数年覗いていると、だいたいの傾向が見えてくる。そこではまるで中学校のクラスの中のようにいじめやかばい合い、そして意見交換などが行われていて生活の場にも置き換えられるような状態である。その中には一つの傾向が顕著になってくる。不特定多数が書き込めて匿名性の場だとはいっても、書き込みの文体や漢字の使い方などで数回見ていると誰がどんな年代でどんな人間なのかを想像できてしまうのだ。それは確実性もなくて空想の世界だと言うことを加味したとしても、個人の性格上の癖などは簡単には変えられないのだとよく分かった。その中で多様されているのがAAと呼ばれるキーボード上の文字だけで作られたアスキーアートである。ネコやクマといった動物や最近は小泉首相公明党の神崎代表の顔も登場し、その都度、使う人や状況によって表情が変わっていくのだ。それは簡単にコピー、ペイストされまた違う人に加工されながら様々に発展していくのだがその創造性と人が介在し変化していく流れの早さに半分感嘆しながら眺めていた。
これによって使う人の個性やものの捉えたかがわかって実におもしろいのだ。そして、ここから生まれたネコがマスコミでも報道され、のまネコ問題へと発展していった。そもそも日本に於ける著作権とは何か?そしてこの不特定多数の人間から都度創り出されていくアスキーアートの存在とは何か?その答えが誰にも分からないからここまで問題になったのだと感じた。
 明日に続く…