studio-aulaの日記

長野県松本市、塩尻市、安曇野市などで活動する一級建築士事務所です。

フィレンツェ

studio-aula2005-09-25

  日常で触れている日本のデザイン文化というのを実感したのはフィレンツェの街並みを見た時だった。
 イタリアに渡航する前の私はメーカーの商品開発にも関わっていて売り手の要望とトレンドの中でこれまた資材メーカーのそうして開発された商品を住宅として構成していた。しかし日々の仕事に追われ、期待されることを日常の快感に毎日を慌ただしく送っているうちに選択する作業に飽きてしまった。それが良いとか悪いとか考える以前に何かを“追いかける”行為に無性に飽きてしまったのだ。
 その中で最初にフィレンツェを訪れたとき、皆と同じようにその街並みに感嘆した。その頃の日本は正にバブルが去った後で落胆しながらも物を大切にしようとかもったいないと言うことがまるで遠い世界のように感じられ、過剰なデザインと設備の中で無駄なお金が浪費されていた。
 それに引き替えフィレンツェでの暮らしは思った以上に質素だった。
ミラノ軍が攻めてくる時代に建てられた石積みのアパートにはそれより時代が新しい螺旋階段が掛けられていて、壁に掛けてある聖母マリアの肖像を眺めつつその階段を昇りおりしながら夕飯の献立を考える。
  その後アメリカ人のプロダクトデザイナーと約2年間一緒に仕事をしていたのだが、デザインに真摯さをもって接し生活の総てがデザインと深く関わっていた彼の姿を見て自分の浅はかさに落胆した。
 盛んに聞かされたのはゴミになるプロダクトを作るべきではないと言うこと、デザイナーは作り手であり、影響力を持っていることを自覚するべきだということだ。そして地球環境を救えるようなシステムをプロダクトデザインを通し考えていることも毎日のように聞かされた。
 私は、それまで仕事をする上で自分の作った物がゴミになっている姿を想像したことがなかったのでこの話を聞いた時、気恥ずかしさを感じた。
そして改めて考えてみると、日本では大切な生活の場、器の住宅でさえ商品として売り出している。それは電気製品のような売り方で消費者をあおり、それを冷静な判断を失わせるようなモデルハウスで販売している。日本における住のデザイン文化は高度成長期モダンリビングが刊行された1960年頃から始まった公団住宅によって大きく変化を遂げた。
 一方イタリアでは、電化製品でさえ買い換える時には一大決心で、何度も検討を繰り返す。友人宅で新しい冷蔵庫が来たときお祝いのランチを御馳走になった。家は石積みで出来ているから解体して新築したり、新しく建てるのではなく代々引き継がれていくものを内装を変えるとか改築するのが一大事業なのだ。
  大きな視点で捉えた時に日本では住宅が建てられる過程の中で選択を迫られることが多いのに対しヨーロッパではつくることが多いというのが違いではないだろうか。
 かつての日本の住宅も総てはつくることで成り立っていた。木を育て切り出す事から始まり、建具や外壁内装の仕上げまですべては手仕事がなければ完成しなかったからその過程で施主も近所の人も棟上げでは屋根に登りゲンノウで野地板を釘で打ち付けた。
少し前まで日本では皆が参加して家を作り上げることが出来たのだ。
今もヨーロッパでは家の壁や門などは自分で塗り、装飾に飾るカーテンなどを自分だけのものとして工夫してつくる。日本では工業化され選択された物が施工されていくだけで最後の装飾にしても自ら選択し購入する行為にとどまってしまう。
何故こうなのか考えてみたときにやはり問題なのは高度成長期に演出された慌ただしさとシステムなのだ。プロダクトを大量生産する大きな会社に総ての利益をもたらすように出来ている。
日本人は参加しなければならない。そして自分の手の力で生きる力を付ける術を今一度身につけるべきだ。