studio-aulaの日記

長野県松本市、塩尻市、安曇野市などで活動する一級建築士事務所です。

+[art]金沢21世紀美術館2妹島和世+西沢立衛

studio-aula2005-09-17

  美術館を出て食事をする場所をさがしつつ歩いているとアジア系アメリカ人の女性に道を訪ねられた。建築物として街から突出することもない高さですんなりと街の人を受け止める4カ所の入り口がみんなに寛容に開いている。
 その女性はまっすぐ進む限りどこかの入り口には間違いなくたどり着くだろう。しかしその建築物が現れるまでの存在の静けさへのとまどいとそして建物を目にしてからも入り口を探し、また新たな空間体験に対するとまどいを存分に楽しむことになるだろう。
この形について西沢立衛はこう語っている
※2 この丸い形は、廻りの環境との関連で出てきていて、中から出てきた形ではありません。廻りを抽象化して、それを建築で示したら丸いという感じなんです。立地が特殊で街の真ん中で3面道路に面していて、残りの一面も用水路だった。開放的な美術館が求められた事もあったし、密接な感じが出れば良いなと思った。※2
20世紀後半には自然と人工いずれにも明確に属さず、地域のオリジナルな風景にも媚び  
ることのない曖昧な地帯が増えた。
一方では、人が住む空間には意外な物、存在が不明瞭な物の存在は許されなくなってしまった。住宅団地マンション、商店街には意味づけされた空間ばかりで構成されていて、宇宙人や宝物探しなど未知なる世界への好奇心さえ奪い取られてしまった。
しかし金沢には、フレキシブルな美術館を受け入れる土壌がある。北陸3県から、金沢
で大学生活を送るべく引っ越ししてくる若者も多いし、東京、大阪いずれの首都圏にも遠く独自の文化と商業圏でこの街を全て完結させる人も多いのだ。
ひとつ気になったのは、この中でトイレの場所を前にしてとまどう人が多いことだ。人は色の体験を通してその空間を認識するものだと改めて思った。あまりに無色で透明性のある空間に男女のトイレの区別がなかなか解らなかったのだ。
それから、妹島和世さんは空間を切って、切って作り上げていく。全体で見ると地域への広がりでいけば前衛的な解決方法を持った美術館だが、実は中は以外に仕切られていてコンサバティブな美術館である。空間の連続性のなさ、一つ一つ完結された展示にはこれで良いのだが一つのテーマで巡っていく内にテーマが薄くなっていく様な感覚になった。先日金沢の卯辰山で市の補助金を受けながら創作活動を続けている若いガラス作家と彼の個展で逢い話をしたのだが、白い発砲ガラスの作品だから無機質な白い空間で個展をやりたいのだといっていた。
しかし金沢21世紀美術館はまさに空間は素晴らしいが彼のような作家には大きすぎて太刀打ちできないということだった。市民の為に建てられた美術館が有名になり、来館者も100万人を超えた。しかし一方でインスタレーションにばかり力が入り工芸が根付いた金沢の市民との本当の繋がりを失っているような気がしてならなかった。
 ともあれ、この美術館のあり方は様々な形で建築の世界に影響を及ぼしているのは間違いない。