studio-aulaの日記

長野県松本市、塩尻市、安曇野市などで活動する一級建築士事務所です。

*[book]天才建築家ブルネレスキ

studio-aula2005-08-02

花の大聖堂の誘惑
 初めてフィレンツェのドーモ・サンタ・マリア・デル・フィオーレを見た時、その存在感と力強い天蓋の美しさに圧倒された。1996年のことだ。
この当時の私は、ドーモの設計者がブレネレスキであるとは知っていたが、1500年代にスパン44メートルもの天蓋を持つ建築物をどうやって建てたのかは具体的に知らなかった。 しかし、ロス・キング著の「天才建築家・ブレネレスキ/花のドームはいかにして建設されたか」でだいたいのところが明らかになった。
大聖堂の礎石が据えられたのは1296年のことだ。それから1401年には石工たちがイタリア半島統一をもくろむミラノ軍との戦争準備のため城壁工事に動員され工事は中断された。ブレネレスキはそのころ22才で洗礼堂のブロンズ版制作のコンペでギベルディと優勝をわけたがブルネルスキはこれを不服とし共同制作を拒否しドナテッロを伴ってローマの遺跡調査に出かけその仕事にそのあと10年間関わることになった。
ブルネレスキがローマからフレェンツェに帰京したとき、大聖堂の巨大な天蓋をどのように建築できるか誰も見当が付かず工事は中断されていた。
その中で41才のかれは大聖堂造営局の行ったコンペに12人の応募者と共に参加したのだ。ブルネレスキの優れていたところは、ローマで遺跡調査に行ったことで、古代時代行われていた遠近法に再び光を当てたりローマ時代紀元前に行われていた「ポラゾン・セメント」と呼ばれるコンクリート工法などにヒントを得て居たことだ。また小さい頃から大聖堂の建築現場を窓から眺められる場所で作業の様子を一部始終見ていたことや、その影響からか時計などの機械製作に特段の才能を見せていたことが巧く重なり合っていたことである。
 日本に帰ってから、私はフィレンツェのことを率直に書き記した。
人のざわめきが心地良い。
狭い通りに次第に人が増えてきた事に気をとられていると突然目の前の視界が開けたその先に、オレンジ色の大きな円蓋を被ったセント、フィオ―レ教会ドウモが姿を現した。その時(ごきげんよう。よく来たね)
私に向ってそう言っているみたいだった。
私はその開豁の中の広壮さに圧倒され恐る恐る近つくと大きなドウモの壁に手を触れながら大理石の冷たさの中に先人たちの手によって削り上げられた温もりの後を探し出そうとた。だが、嘗ての誇り高き石工達によって削り磨かれた緑と白とピンクの大理石には、繋ぎ目の部分さえ滑らかで人の汗の残り香を感じ取る事は私には出来なかった。
大理石にも何百年もの時を経て汚濁した部分がある。
年月を重ねたその影に尊敬と愛しさが混じりあった気持ちを伝えるようにゆっくりした足取りで彼の周りを一周りした。
内に入るとその簡素さにはっとして誰もが物静かになり、薄暗さの中で探し出した一瞬の光の中心に其々の神を見る事が出来るのかもしれない。
周りには大勢の人の絹ずれの音やひそひそ声がするが何時しか何も耳には届かなくなる。
守られていると、初めて此処に足を踏み入れた瞬間から私はこの場所から何かを感じ取った。
そして、薄暗い中に陽が移動していく時ステンドグラスから零れる一瞬のスペクトルの光の示す方向に私は私にとっての神を感じた。
この時、私は生まれて初めて建築物の中に人の思いを感じ取っていた。それは、大きすぎ
る大聖堂の中に固まりとなって沈殿していた。